テヘランへ

漫然と生活を送ることにそろそろ耐えられなくなってきたころ、GWは会社を暦どおりに休めると分かり、速攻でフライトを予約した。

いい季節に旅行するのは久しぶりで、そもそも旅行自体久しぶりで、実に高揚している。というか、人生は本当に『火の鳥』だし小津映画なんだなという実感が湧きまくりで、ここ1年の記憶がほぼない。

こうしてわたしはまたひとりでご飯を食べ、本を読み、眠り、映画を観て、ときたま旅に出て、趣味を謳歌しながら社会とか世間とかに小さく絶望しつつ、そのまま肌の油分だけが失われていくんだろう。とか思う。

ウズベキスタンに行くまで(3)

ウズベキスタンに行くと決めて、航空券を買った。仁川経由で成田〜タシケントがリーズナブルかつ、無難であろう。どこの街に行くのかすらよく考えていなかったが、とりあえずタシケントに行っとけば間違いないと踏んだ。また、このとき*1は、ビザも必要であった。当然、これまで中央アジアに全くと言っていいほど関心がなかったので事前の報道を知らなかったのだが、滞在中にウズベキスタンを含む中央アジアの国々への渡航に際してビザが免除*2されることとなる、とニュースが流れた。なんだったんだ、私の2500円*3。諸事情により2月にせざるを得なかったのだが、3月であればビザは不要だった。かなしい。

とはいえ、その時はそんなことも知らず、知っていたとしても日程的には必ず必要だったので、第一の関門はビザだった。海外旅行に行ったことはあったが、ビザが必要な国に行くのは初めてだった。おまけに、一人旅はたったの2回目であった。これからビザが要る国に行こうとしているのか…そしてビザは取れるのか…と曖昧な認識でそわそわしていたが、あっさり取得できたし(そりゃそうだ)、今後も大統領令が撤回されない限りはビザがいらないだろうと思うので、不安だったなあくらいの思い出を書き付けておく。確か滞在先が決まってなくてもよくて、航空券の日付を聞かれただけだった。ただ、小さく簡素な大使館の窓口に積んであったパスポートの山の中には1冊も5年パスポートがなくて、目先のたかだか5000円をケチってしまったのがその時になって少し悔やまれた。ちょっぴり恥ずかしい。

さて、順番があべこべになってしまったが、ウズベキスタンに行くのに、事前にネットでさっと調べたのはだいたい以下のことだった。

  • ビザの取得方法
  • 通貨、両替情報
  • 気温、服装
  • 言葉

とりあえず東京からタシケントにたどり着くことだけはできそう。がしかし、ウズベキスタンに行った人のブログを読んでいると、タシケント空港が最悪だということだけは理解できた。着いてから出るまでに何時間もかかるだとか、飛行機から降りてバスで移動してそのバスから降りる時の客のダッシュが凄まじいとか、そのダッシュにもみくちゃにされたり列に割り込まれたりだとか、税関でお金の申告をきっちりしないと差額はカツアゲだとか、そんな話がうじゃうじゃ出てきて内心ほんまかいなと思いながらも戦々恐々であった。もちろんこの時は行ったことがなかったので、ただただ対策を考えて震えるしかなかった。そして滞在先を決めてはいなかったけれども、初めて行く場所なので割高になる*5が、ホテルまでは車を頼んでしまおうと決めた。

さらに一人旅ビギナーを震撼させたのは、通貨だった。ウズベキスタンの通貨は「スム*6」で、ドルもよく使われ、ユーロでも大丈夫な場合もあるという。普段日本で生活していると、円が強いんだなあとかあまり思わないので、それだけでも既にめんどくさいのだが、政府が観光客はドルではなくスムでホテル代を払えと言っている、みたいなことがホテル予約サイトにちっちゃく追記されていた。
調べてみると、2017年9月5日に出された大統領令により、ホテルだけではなくあらゆる現金払いで外貨を使うのは禁止にします、とのことだった。さらに、その「スム」には公定レートと市場などで流通する闇レートがあり、レートにはおよそ2倍の開きがあって損してしまう(公定レートで替えてしまうと闇レートの半額になるのに、物の値段は闇レート基準なので倍)ので、銀行や空港で両替してはならない、現地で円は両替できない可能性があり、クレジットカードも基本使えないから日本からドルかユーロを持ってけ、でも闇レートは違法だから自己責任、という調子で、「闇」レートという言葉の響きに若干の興奮を覚えながら*7も、じゃあどうすればええねん、と戸惑いしかなかった。

結論としては、あまり心配はいらなかった。またさらによく調べると、スムのレートを国が切り上げ、銀行などの「公定レート」で両替しても従来の闇レートで両替するのと変わりないようにしたらしかった。これも2017年のこと。たぶん切り上げてからそれほど日が経っていなかったので情報がなかったのかなと思う*8。そして支払いも、スムでもドルでもユーロでもなんでも大丈夫だった*9。ただ、1スムが0.014円とかなので、1串2000スム(30円くらい)のものを屋台で買おうとしても、10ドル札しかないとお釣りがありませんとか、お釣りはスムです!みたいな感じになるので非常にややこしかった。
今はどうか知らないが、徐々に外貨の現金払いOKのところが減っていくのかもしれないし、やっぱり変わらないのかもしれない。あと、店では微妙だが銀行や高級ホテルのロビーにはVISAのキャッシングマシーンがあり、めちゃめちゃ簡単にドルが引き出せた。当然だが、銀行に行けば円は両替できた。

近所に住むウズベク人の方曰く、2月は寒いから3月がいいんじゃない、とのことだったが2月に強行してしまった。気温が全然違う。で、ウズベキスタンのシーズンは3月から11月で、夏は湿度が少なく過ごしやすいが40度近くになる。だが、オフシーズンの夜は零度を下回る日が多い。オフシーズンに行ったことで良かったことも大きいが、ちょっとしんどかった日もあった。また、ウズベキスタン公用語ウズベク語で、英語よりはロシア語ができたほうが便利そうだった*10。もちろんロシア語ができるはずもなく、せめてキリル文字くらい読めておきたいと考えた*11

行く日までにヒートテックとカイロを買い込み、部屋の片隅に打ち捨てられた「ロシア語文法」のアルファベットのページをめくり、ぼんやり眺めていた。

*1:航空券を購入したのは2017年冬。行ったのは2018年2月2日から。

*2:正確には、30日以内の滞在であれば査証免除に緩和。詳細は http://www.uzf.or.jp/tour/

*3:それより滞在先の配分を考えていなかったために後から便を変更し、キャンセル料を取られたほうが痛手だった。「ウズベキスタン行きの航空券を買う」ということだけにものすごく集中しており、それ以外のことは何も考えていなかった。なぜかは今でもよく分からない。

*4:https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo_2017T063.html#ad-image-0

*5:割れないからね

*6:ウズベキスタンスム(UZS)。「s'om」と表記され、カタカナだと「スム」と「ソム」のあいだくらい。ウズベキスタン(O'zbekiston)の「ウ」もこのくもった感じの深い「ウ」で、たぶん同じ音(に聞こえた)。

*7:天文学者がよく分からないものにやたらつけたがる「暗黒」にも似た興奮を覚える

*8:帰ってきてから気づいたが、Googleベースで調べても全然生きた情報が入ってこないため、中央アジア勢の皆さんのTwitterをチェックすれば一発だったと反省。悔やまれる。

*9:あとで現地の旅行会社に問い合わせてみたが、基本ドルでスムで払いたいならスムでもいいんじゃない?という程度の温度だった。

*10:ウズベキスタン基礎データ | 外務省

*11:ウズベキスタンでは文字の表記が未だに、ものっすごく、混在している。アラビア文字こそ現在では使われないが、(旧)ラテン文字キリル文字、(新)ラテン文字で、同じ音なのに書き方が違う。

ウズベキスタンに行くまで(2)

ウズベキスタンという国にたいして縁もゆかりも関心もなかったが、自分の顔に似ている人々がいるらしい、というそれだけのことで、一気に興味が湧いてしまった。

ただ渡航情報を見てもいまいちピンと来ず、真っ青な建物群の写真を見て憧れながらもなお、耳元では川平慈英の声をした博多華丸が「ウズベキスタン」とささやくのみであった。ガンバレ、ニッポン。

それから「卒業旅行」がちらつきはじめた頃、現実逃避として論文を書く合間に航空券を物色しはじめた。友人とのスペイン行きがたち消えたので、もうちょっと自分が行きたい場所を吟味してみようと考えた。メキシコシティにマリアを見に行くか、やっぱりグラナダか、もう一回イスタンブールでサバサンドを食べてもいいし、鏡の中の瞳に乾杯をするためにカサブランカに行っても、神の国マラケシュに行っても*1、ホテルの窓から壁の下の恋人たちを眺めるためにベルリンに行ってもいいかとも考えた。ただ、友人の誘いに軽く乗ってイスタンブールに旅行したこと、大学で選択必修だったためになんとなく東洋哲学の講義を聞いていたこと、何本か観たイランの映画が面白かったこと、家族に受けた多大なる影響下にあることを自覚したこと、だいたいそんな意識があった。

相変わらず脳内の華丸が慈英ボイスでささやき続けていたのだが、ぐうぜん、家の近くにあるバールでお客さんでウズベキスタンの人がいると教えてもらった。それで、ウズベキスタンに行ってしまおうと決めた。たいして長くもない人生を振り返っても、最も琴線からほど遠いところにあったものが、急に近づいた。パソコンでぽちぽちやるだけで中央アジアに行けてしまうなんて、すごい時代だとどきどきした*2

天文台が面白そうだし、治安もよさそうだし、ちょっと遠め。オッケーGoogle、私はウズベキスタンに行く。それにメキシコはツアーで行ったほうがよさそうで、キューバに行くなら葉巻を片手にクラシックカーに乗りたい。どうせならフランス語をやり直してからモロッコに行ってリヤドを借り切りたいし、だとしたら一人旅で千夜一夜物語を読んでみてもあまりにさみしい。新幹線さえ修学旅行でしか乗ったことないんだから、初めてアフリカ大陸に行くなら、相応の勇気と、楽しめる教養と、一緒に行く人が欲しかった。それに、ベルリンには友人に会いたかったことと美味しいビールを飲みたいという以外に、いま行く理由が見当たらなかった。

*1:のちにバイト先の常連客(モロッコ人)に聞いたが、「カサブランカ」はハリウッド映画でモロッコでロケしたわけじゃないから、ビルばっかのカサブランカなんかより砂漠に行けとのことだった

*2:オードリー若林の『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を思い出す

ウズベキスタンに行くまで

2月にウズベキスタンに行ってきた。

 

ただでさえ印象と擬態語だけで生きているのに、日が経つにつれ記憶がますます曖昧に、ぼんやりとしてくる。日の出だ。そのうちまたサマルカンドあたりに行って、シャフリサブスにも、遠出してヒヴァも訪れてみたいなあと思うので、備忘録として書き付けておこうと思う。

それとこれとは全く関係ないが、仕事を始めてから、文章が書けなくなった。書けなくなったというのは正確ではないかもしれない。べつに、これまでも文章が書けてたなぞと口が裂けても言うつもりは毛頭ない。が、それでも、書けないってこういうきもちかとじんわりする。こうしてここまで書いて、ちょっと読み返してみて、死ぬほどダサい。ダサいし、パッションもセンスも感じられない。絶望しかない。そういう意味でも、ちょっとリハビリになればいいなあと思うのだ。なるかはわからない。けど、まあ備忘録になればということだからなんでもいいかなって。いいよね。

 

もちろん、と言うと前提を説明しなくてはならないが、めんどくさいから割愛して、もちろん、最初からウズベキスタンに行こうと思っていたわけではない。中央アジアがどこにあるのかも(当然アジアの中央にあるんだけど)(でもどこから見て中央なのかと考えるとそう中央でもない気がする)、というかそもそもウズベキスタン中央アジアにあることも(知るはずもなく)、いやまずウズベキスタンという国の名前すら、よく知らなかった。

 

友人と話していたとき、文脈は忘れたが、しかし「私って日本人顔じゃないですか」と何の気なしに言ったのだった。その「日本人顔」という表現を軽く、胸中でもふわっとしたまま使ったのはあんまりよくないな、と思うのでそれ以来あまり使わないようにしているのだけれども、友人はあっさりと否定した。眼も丸いし、「中央アジア顔だ」と。眼が丸いと中央アジア顔なのか?というツッコミはさておき、その瞬間に、私の人生に初めて中央アジアというワードが熱を帯びて割り込んできた。気がする。

まず中央アジアがどこか即座に浮かばず、google map片手に友人の話を聞いていたが、曰く「キルギスとか、カザフスタンとか、そのへんの民族衣装が似合いそう」とのことだった。調べても自分の顔に似てる人はあまり出てこなかった。私の想定していた日本人顔であれば、カザフの女子バレーのサビーナ選手*1くらいだけど、針の振り切った上位互換でしかない。とはいえ、民族衣装であるとか、建物の壮麗さとか、スマホ越しの画像を見て、ちょっと行ってみたいなあと思った。

 

行ってみたいなあと言うと、その友人は「行くならウズベキスタンが一番治安もいいし、ウズベキスタンに行け」と言う。私はその人をかなり(とくにこういう場面において)信頼していたので、調べもせず、そうか、ウズベキスタンは安全なのか、だとしたら行けそうだなあとぼんやり思った。

*1:Сабина Алтынбекова